安永年間(1773 年~1781 年)に宮大工の彦租伊兵衛が、加茂川で亡くなった子どもたちの供養のために、川や橋のたもとに36 カ所の地蔵札所を奉納し、祠堂を建てたのが始まりとされる。
旧加茂川沿いに設けられたこの地蔵札所が、地蔵信仰が大山の裾野まで行き渡っていたことを物語っている。
文化財データ
名称 | 旧加茂川の地蔵 |
---|---|
よみかた | きゅうかもがわのじぞう |
指定 | 未指定 |
所在地 | 米子市 |
Data of
Cultural
Property
安永年間(1773 年~1781 年)に宮大工の彦租伊兵衛が、加茂川で亡くなった子どもたちの供養のために、川や橋のたもとに36 カ所の地蔵札所を奉納し、祠堂を建てたのが始まりとされる。
旧加茂川沿いに設けられたこの地蔵札所が、地蔵信仰が大山の裾野まで行き渡っていたことを物語っている。
名称 | 旧加茂川の地蔵 |
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よみかた | きゅうかもがわのじぞう |
指定 | 未指定 |
所在地 | 米子市 |
Data of
Cultural
Property