INTERVIEW 郷土史家 大原俊二さん
地蔵信仰は大山のやさしさ
牛も馬も家族のひとり
歴史研究の重鎮でいらっしゃる大原さんにとって
大山はどういう山ですか?
私は大山の頂上は浄土であり、生きているものすべての聖地だと考えています。
大山の歴史はどれくらい古いのですか?
大山信仰の源流は原始古代にまで遡ります。霊山であり、山神信仰の山であり、祖霊信仰の山でもありました。日本で有数の歴史と信仰の山であったと思います。
今まで大山の価値が小さく語られすぎていましたが、日本有数の歴史を持つ信仰の山なんです。
古代から大山は複雑な歴史をたどりながらいつも私たちの生活を見続けていますね。
今まで大山の価値が小さく語られすぎていましたが、日本有数の歴史を持つ信仰の山なんです。
古代から大山は複雑な歴史をたどりながらいつも私たちの生活を見続けていますね。
その中で今回日本遺産認定のテーマになった「地蔵信仰」も
大山ならではの庶民の信仰と考えていいのですか?
伯耆文化研究の論文「大山信仰の源流、大山の山神・大山神―大山神と地蔵菩薩」の中で述べていますが、大山の権現信仰は「地蔵信仰」をいいます。
大山参りと牛馬市のお話を聞かせてください
大山を最高峰に持つ中国地方の因幡、伯耆、出雲、備後、備中、備前、美作の七か国に生まれた人々は、生まれながらにして大山の氏子でありました。村々では大山講をつくって、毎年交代で参拝したのです。
その折、遠くからの参拝者たちは道中に必要な食糧米などを牛に背負わせて大山へ向かったのでした。 牛も馬も人力の及ばぬ働き手で、家族のように大切に飼われていました。 大山参りの目的のひとつはその大切な牛馬の安全を祈るためでした。また参拝者同士がお互いに連れてきた牛を比べあって、いつしか売り買いになり、江戸中期になると組織だって博労座でおこなわれるようになりました。
そのごった返す牛馬市は近代なると取引数日本一と言われるまでに発展したのです。
その折、遠くからの参拝者たちは道中に必要な食糧米などを牛に背負わせて大山へ向かったのでした。 牛も馬も人力の及ばぬ働き手で、家族のように大切に飼われていました。 大山参りの目的のひとつはその大切な牛馬の安全を祈るためでした。また参拝者同士がお互いに連れてきた牛を比べあって、いつしか売り買いになり、江戸中期になると組織だって博労座でおこなわれるようになりました。
そのごった返す牛馬市は近代なると取引数日本一と言われるまでに発展したのです。
そのにぎわいを再現できたらいいですね
地蔵信仰は大山のやさしさを表現していました。牛も馬も家族のひとりと愛されていた牛馬が交換される光景は涙なくして見ることがなかったそうです。人も牛も馬も地上に生きる生物すべてのものに感謝する信仰心深い山ですね。
プロフィール
お名前 | 大原俊二さん |
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ご職業 | 郷土史家 |
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