STORY 「大山信仰」と人々のくらし
「大山信仰」と牛馬市をささえた
「大山道」と道沿いの人々のくらし
中世以来、大山を西国諸国に広くおよぶ大山信仰圏と牛馬流通圏の中心に位置づけ、その往来を支えたのが大山寺から放射状にのびる「
横手道沿いで博労宿が軒を連ねた
裾野に広がる「大山信仰」
「大山信仰」に由来する水にゆかりある行事として、山中の池から水を汲み清めとする「もひとり神事」や「はまなんご神事」、たる酒を池に注ぎ、その水を汲んで持ち帰って田に流す雨乞い祈願などが今も続いています。また、五穀豊穣を祈る風習として、田植え前に大神山神社奥宮で豊作を祈る「山入れ」の行事や、伯耆やその周辺諸国の田植唄で謡われる「大山歌」などもあります。
伯耆では、子どもは数えで2歳が厄年と言われ、親が背負って大山寺に初参りする「二つ児詣り」や数え13歳で無病息災を祈る「十三詣り」があり、大山土産の飴を持ち帰って村人に配りました。 山陽筋からは、縁者を失った人がはるばる大山寺を訪ね、地蔵菩薩の救いを願って
大山さんのおかげ
このように、水の恵みに延命を求める地蔵信仰に由来する「大山信仰」と「牛馬信仰」は、牛馬市の隆盛も手伝って西日本に大きな信仰圏を形成しました。それは、あたかも大山からの天恵の水が伏流水となったがごとく、長い歳月を経て人々の生活文化の中に沁みわたり、静かに根付いたものです。そして、とりわけ裾野に暮らす人々は「大山さんのおかげ」と日々感謝しつつ大山を仰ぎ見続けているのです。