STORY

 鎌倉時代後期の『大山寺縁起』には「土も地蔵の随身、気も草も地蔵の利生の姿なり」という記述があります。つまり大山寺の僧侶たちは、大山に生まれる全ての生命とそれを育む大山は地蔵菩薩そのものである、と考えていたのです。その最たる例が江戸時代に行われた入山禁止と伐採・採集の禁止でした。ある院が自らの境内にあった木を無断で伐採したことが発覚しました。伐木は取り上げられ、50日間宿坊としての活動停止、そのうえ罰金まで取られたという記録が残ります。

 大山寺は江戸時代を通して大山の自然保護に取り組んできました。その結果、近代になって大山登山が活発化し、人々が多く山に入るようになってから、数々の新種が発見されるようになりました。中には「ダイセン」を冠した名前を持つものもあります。ちなみに筆者のお気に入りは「ダイセンニセタテヅメザトウムシ」です。噛まずに言えるとちょっとうれしい気持ちです。どんな虫なのか気になった方はぜひ検索してみてください。(虫が苦手な方はご注意ください。)脱線しましたが、貴重な動植物を保護する過程で、大山は昭和11年(1936)に「大山国立公園」の名で国立公園に指定されることとなります。大山寺の僧侶たちは独自の地蔵信仰によって、現代の自然保護の下地を醸成していたのです。

 大山寺の僧侶たちが守り続けた大山の自然は、麓に豊かな水をもたらし、その恵みに感謝する人々によって大山寺は支えられてきました。「大山さんのおかげ」、まさに当時の持続可能な仕組みがそこにはあったのです。ダイセンキスミレ.JPG (ダイセンキスミレ:県内で唯一の黄色い花のスミレ)

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