STORY 鉄!鉄!鉄!
鉄製厨子(てつせいずし)って?
日本遺産の構成文化財にもなっている、国指定重要文化財の鉄製厨子(てつせいずし)、意外と知らない方も多いようです。文化庁の「国指定等文化財データベース」を開くと、なんと解説文がありません。鉄製厨子、いったいどんなものなのでしょうか。
厨子とは、中に仏像や経典を納める容器のことです。大山寺所蔵の鉄製厨子は平安末期の承安2年(1172)に造られました。中には地蔵菩薩像が納められていました。これらの情報は厨子に取り付けられていた4枚の銘板から分かります。銘板は承安3年(1173)に造られたと考えています。この厨子はその名の通り、鉄で出来ており、鋳造(ちゅうぞう)で作られています。実は製造年代が記されている日本最古の鉄鋳物のいう貴重な品物です。また、銘板の文字には、銅を溝にはめ込む技法、銅象嵌(どうぞうがん)が使用されていることが分かっています。平安時代の象嵌作品は日本に数例しかなく、これまた貴重なものであることが分かります。
伯耆国の鉄
当時高価な鉄をふんだんに使った厨子が製作可能だった秘密は、ここ、伯耆国にあります。『延喜式』に伯耆国の税として鉄が登場するなど、古くからこの地では鉄の生産が盛んでした。
また、伯耆国の良質な鉄は、平安中期に稀代の名工を生みます。天下五剣のうちの一振、「童子切安綱」の作者、安綱は伯耆国の出身です。伯耆国ではその後も刀の生産が続き、技術を応用したものが大山寺には残されています。県指定保護文化財の鉄燭台(てつしょくだい)です。燭台はロウソクを立てる台で、仏間の灯りとして使用されました。室町末期の2基はいずれも鍛造(たんぞう)によって造られています。鍛造は型に流し込む鋳造とは異なり、叩いて成形する造り方です。中世の鉄鍛造の燭台は数点しか見つかっていません。また、西日本では唯一の例です。使用場所も書かれており、工芸史的にも大山寺の歴史的にも重要な資料です。
伯耆国の鉄生産は大正時代まで続く一大産業でした。地蔵信仰とともにあった大山周辺地域は、鉄の文化と共にあり続けたのです。