STORY 天才!基好現る!
皆様は天台宗の密教に多大な影響を与えた天才が大山寺にいたことをご存じでしょうか。その名は基好(きこう)と言います。実は前号にも登場しました。彼は平安時代末期に活躍した大山寺の僧侶で、天台密教の奥義を極めたとされる人物です。資料が少なく、肖像画も残っていません。しかし、『元亨釈書』などから、後に臨済宗の開祖となる栄西(えいさい)の直接の師であることが分かっています。近年、栄西の著書が次々に見つかり、基好の教えが徐々に明らかになってきました。
また、国指定重要文化財「青蓮院吉水蔵聖教類」の目録が広く公開されるようになり、時の比叡山のトップ慈円(じえん)とも関わりが深いことも明らかとなりました。余談ですが、慈円は大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」で山寺宏一氏が演じておられました。
基好が重要視した密教とはどういったものなのでしょうか。密教は秘密深遠の教えの略語です。と言っても隠されているわけではなく、我々が理解できないほどの境地であるがゆえに秘密であるという教えです。そのため、師匠から弟子に直接伝えられるのみで継承されます。密教は儀礼や祈祷を重んじ、病気の治癒や五穀豊穣、そして、国家安穏のご利益があるとされ、権力者たちから絶大な支持を集めました。
基好は天台密教のうち、谷流という流派を継承し、谷流の祖である皇慶(こうけい)と同じ「遍照金剛」(へんじょうこんごう)という灌頂名をいただいています。「遍照金剛」は密教の根本仏である大日如来の別名です。文字通り大日如来のレベルまで密教を極めていることを認められたと考えられます。具体的に基好がどのような教えを説いたか、これを書くと文字量が足りないので割愛させていただきます。とにかくすごい天才がいたんだと思っていただければ十分です。
第1号に登場した鉄製厨子銘板に、基好の名があります。銘板には「大行事宝殿検校南光院遍照金剛基好」と記されています。「大行事」は再建に関する祭祀の責任者を指し、「宝殿検校」は本社の監督責任者を指します。つまり、承安3年(1173)の本社再建及びその祭祀事一切の責任者を勤めていたのです。基好は平安時代末期の大山寺において事実上頂点にあった人物であると言えます。
この基好は日本遺産に関連して3つのことを始めたと伝わっています。1つは放牧の奨励です。境内周辺に広がる草原を利用して牛馬の放牧を行えるようにしました。また、1つは守護札の配布です。大山の地蔵菩薩は農耕に関わる牛馬を守護するとして、参拝者に牛馬守護の札を配布するようになりました。人々はその加護を求めて大山寺に集まるようになったのです。そして最後の1つは、そば栽培の奨励です。これは以前ご紹介しました。
基好は当時の天台密教、そして大山寺の歴史上においても重要な役割を果たしました。まさに大山寺が誇る名僧であったのです。