STORY

徐々に暑さがこたえる季節になってきました(7月30日現在)。そろそろ冷やし中華を始めたい人もいらっしゃることでしょう。しかし、大山で麺類というとやはり大山そばが浮かぶ人が多いと思います。今回はその歴史を辿っていきます。

 日本で最も古いソバの記述は『続日本紀』にあります。奈良時代の養老6年(722)に元正天皇が「年荒」(飢饉)の備えとしてソバの栽培を奨励したという記事です。ソバは稲作に適さない土地でも育ちやすく、非常時の備えとして古くから栽培されていたことが分かります。

 『古今著聞集』には実際にソバを食べた逸話が載っています。道命(どうみょう)という僧が住民から出された料理を食べた際、「これは何か。」とたずねました。住民は「そこかしこに大量に生えているソバです。」と答えました。この時道命はソバが食べられると知って驚いた、というお話です。当時ソバはあくまでも庶民の非常食であり、貴族出身の道命にとっては、食べ物という認識すらなかったようです。道命は藤原道綱の長男で、藤原道長の甥にあたる人物です。藤原道綱はNHK大河ドラマ「光る君へ」で上地雄輔さんが演じていらっしゃいます。

 そんなソバの栽培が大山で始まったのは平安時代後期の頃と伝わっています。当時の大山寺の僧侶、基好(きこう)が栽培を奨励したのがきっかけと言われています。ソバは飢饉の際に人々を救う最後の砦でした。その在り方は現世を迷う我々を救う地蔵菩薩の姿と重なりました。こうしてソバの栽培は徐々に広がっていきました。14・15世紀の僧坊跡からソバの花粉が見つかっており、その頃には食べられていたことが推定できます。

 しかし、この段階では皆様が想像しているような蕎麦ではありません。道命が食べたのはソバの実のおかゆです。その後、石臼が中国から伝わってきたことで、そば粉を作ることが可能になりました。そば粉を練って固めた、そば粉100%の団子状の料理が食べられるようになります。そして、その団子を細長く切った蕎麦切りが生まれ、現在の麺としての蕎麦になったのは室町時代後期以降のことです。そして、今の大山そばが生まれたのは江戸時代のことです。牛馬市に集まった人々に振舞われたことで広まったそうです。

 この記事を読まれた方は蕎麦が食べたくなったことでしょう。たまには冷やし中華ではなく、日本遺産の構成文化財である大山そばを召し上がってみてください。(大山そばはあったかいお蕎麦なんですけどね・・・。)

大山そば.jpg

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